「ごめんね遅れて。迷っちゃった」連れの出で立ちは金髪を通り越してミルクティー色の髪に大きなマスク。どっからどう見てもカタギではありません。綺麗な髪の色だね、きゃりーが来たかと思ったよ、と第一印象を述べる。
「これぐらい振り切ったほうが良いんだって。無理してナチュラルな黒髪のヅラかぶるから、余計不自然さが目立っちゃうの」彼女は先日乳癌を摘出し、現在は抗がん剤で残りの癌を叩いている最中です。「不思議だよね、髪はほとんど無いんだけど、眉毛とまつ毛は残ってるの」ケラケラと笑うアラサーの癌患者。
彼女は現在、ザ・肉のような塊は食べることができない。したがって魚介類だけでコースを整えて欲しい、と予約時にお願いしておきました(写真は公式ウェブサイトより)。「むしろ魚介が得意なので任せて下さい」と自信に満ちた受け答え。
ワインリストが無い代わりにいくつかボトルをテーブルまでお持ちして下さります。 ちなみにシェフは料理人ながらシニアソムリエという守備範囲の広さです。
「抗がん剤は思ったよりキツいなあ。投薬すると1週間ぐらいは全く使い物にならなくてさ。生命力は犬以下。ドラクエなら画面が真っ赤に染まってるところよ。ほとんど寝たきり状態で全く動けない。吐き気と頭痛がほんと苦しい。食欲なんて全然無くて1食にリンゴひとくちぐらいしか食べれないんだけど、そのくせ体重は3キロ増えたりするの。嫌になっちゃう」現在は復調しているものの、数日後に再び地獄の投薬が待ち受けているとのこと。そのためまともな体調でいられる際の一食一食の質が極めて重要となる。
前菜は洋梨に水牛のモッツァレラ。ジューシーでコクのあるチーズに品の良い甘さと滑らかさの洋梨。どシンプルながら驚くほど旨い。素材の良さを信じきった結果でしょう。凡百の料理人はなんとか手を加えようとしてきますが、悟りの境地に達したシェフたちは極めてシンプルに自信を持って素材をそのまま出してきます。
ちなみに水牛のモッツァレラとは恐らく「モッツァレラ・ディ・ブッファラ・カンパーニャ」なのですが、この「モッツァレラ・ディ・ブッファラ・カンパーニャ」はやみつきになる発音であり、この言葉を発するとすごくチーズが詳しい人に聞こえるチーズ名なのでオススメです(何が)。
サワラ。驚くほど肉厚でステーキ肉のような様相を呈しています。軽く炙った表面から立ち上る香ばしいかおり。里芋のピュレも滋味溢れる味わいであり、初っ端から実に心強い一皿でした。
「ま、でも、ガンになって良かったかな。少なくとも強制的には休肝日ができるし、良質な食物しか摂らなくなったし」なるほど確かに彼女の肌は絹のように白く滑らかであり、むしろ数歳若返ったようにも見えます。街に放り出せば10分に1度は確実にナンパされる外見である。
明石のハモ。嫌いというわけではありませんが、私はそれほどハモという食材に興味が無い。しかしながら当店のこの調理は私好み。ホクホクとした食感に噛むほどに白身の味わいが立ち上ります。付け合せは春菊に黒キャベツ、ほうれん草。熱を入れて凝縮していますが、結構な野菜摂取量でもあり極めてヘルシーな一皿。
「免疫力が下がってるから、外を出歩く時はできるだけマスクつけるようにしてるんだよね。食べ物にもあたりやすくなった。この前は牡蠣にあたっちゃって、キツかった~。だからなるべく生モノは避けるようにしてるだよね。生魚とか、生野菜とか」
パンは神戸のブーランジェリー「サ・マーシュ」より。やや硬めの焼き上がりであり、小麦の風味をふくよかに含む逸品。「なにこのパン、めちゃめちゃ美味しいんだけど」と彼女も興奮気味。ところで当店で用いる食材の仕入先が関西が多いのは、クロ・ド・ミャンが大阪にあった頃の名残なのかしら。
それにしても素敵な髪の色だ、リア充ガン患者選手権があればキミは間違いなく金メダルだよ、と改めて感想を述べる。「そう、癌患者向けのグッズって、人の気分を暗くするようなダサいやつばっかなの。いいかげんウンザリして自作するようにしてるんだ。この前はハーフウィッグをニット帽に組み込んでさ。ちょっと外出するときとかはそれぐらいがすごくラク。絶対ガンをネタにして、最低でもひとつは商品化してみせるから」転んでもただでは起きぬ。実に商魂逞しい癌患者である。
白子のソテー。白子とイチゴを合わせて食べるのは生まれて初めてですが、これがまた実に旨い。白子のもったりとクリーミーな舌触りにイチゴのタネのプツプツとした食感が面白い。味覚の方向性がバラバラの食材を上手に一皿にまとめる手技に舌を巻く。
スペシャリテのタマネギのタルト。黒いほうも白いほうも同じタマネギです。黒いほうは6時間タマネギを炒め抜くという気の遠くなるような作業を要し、その甲斐あって1メートル離れた場所からもプンプンにその香りが漂ってきます。とにかく甘く、コクがある。タマネギってこんなに美味しいんだと可能性を見出した瞬間です。ちなみに白いほうは2時間炒めのソース。ソースですら2時間。。。
メインはタイ。こちらもタイそのものの調理はシンプル。良い素材には余計な手を加えない思想が徹底されているように感じました。他方、キノコ主体のソースは手堅い美味しさ。やはりソースやガルニチュール(付け合せ) のレベルが高いお店が私は好きだ。
「若い癌患者って、みんな悲劇のヒロインになろうとするんだよね。ネットとかは暗い情報ばっかりで嫌になっちゃう。だからこの前、あるメディアから取材させて欲しいって依頼があったからインタビュー受けたの。あたしが癌を見つけられたのは麻央ちゃんのおかげだったから、あたしもできるだけ情報を発信して同世代の女の子を安心させたい」ちなみに彼女は麻央ちゃん追悼番組におけるセルフチェックで偶然に命拾いしたのです。読者の女子のみんなたち!今すぐセルフチェックして!
デザートはハチミツのパルフェにアンコにほうじ茶(?)で風味付け。 こちらも意外性のある組み合わせながら非常にまとまりのある味わいでした。
一般論としてだけど、と前置きしてから私は話を続ける。一般論としてだけど、キミは周りが振り返るほどの美人だ。キミみたいな美人がこうしてフレンチを食べワインを飲みながら癌生活を謳歌していると、メディアは絶対に飛びつくと思うよ。「そう?ありがと」いやそこはそんなことないよあたしなんてぜんぜん美人じゃないよと謙遜するのがスジだろう。美人と言われ慣れている女はこれだから。
「お誕生日おめでと」と上質な紙袋から取り出される木箱。ワオ、世の中はすっかりクリスマス気分なのに、私の誕生日を気にかけてくれていたなんてマンモスうれピー!
彼女がお手洗いに立った際に、お店にお会計をお願いすると「先ほどお連れ様が済まされましたよ」イケメンか。ごちそうさまですありがたやありがたや。
思ったより元気そうで、という表現には語弊がありますが、少なくともこれまでと全く変わらない様子でフランス料理とワインを楽しめたようで何よりです。やっぱ身体は食べ物で組成されているんだから、良質なモノを口にしなきゃね。
次回はどんなお店にしようかな。ヌキテパやアビスは安心できる魚介フレンチとして、ボガマリ・クチーナ・マリナーラ、ラ・スコリエーラ、ラ・バイアあたりのイタリア勢も捨てがたい。こうしたテーマを決めたレストラン選びというのもまたをかし。
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「好きな料理のジャンルは?」と問われると、すぐさまフレンチと答えます。フレンチにも色々ありますが、私の好きな方向性は下記の通り。あなたがこれらの店が好きであれば、当ブログはあなたの店探しの一助となるでしょう。
- ガストロノミー ジョエル・ロブション ←最高の夜をありがとう
- アピシウス ←東京最高峰のレストラン
- ナリサワ ← 何度訪れても完璧
- SUGALABO ←料理だけなら一番好きかも
- エクアトゥール ←天才によって創られる唯一無二の料理
- フロリレージュ ← 間違いなく世界を狙える
- キャーヴ・ドゥ・ギャマン・エ・ハナレ ←世界を狙える日仏料理
- アラジン ←あの日あの時あの場所で何を食べたかの記憶がハッキリと残る料理
- 北島亭 ←私は大食いでわかりやすい味を好むため当店は黄金センター
- ALLIE ←ワインという食事の知的部分を担うソムリエの重要性を再認識させてくれるお店。
- アルシミスト ←こんなに魅力的なプレゼンテーションのブーダンノワールを食べたことがない
- メイ ←ブロートウェアが何ひとつ無い
- Parc ←当店ほどまでに重みのある二ツ星は東京ではなかなか見当たらない
- ラ・ファソン古賀 ← 強烈な個性をテーマに据えるドクトリン