エージェントから「くろぎでドタキャン発生!」との連絡。当店は日本でトップクラスに予約が取れないお店であり半年待ちなんてザラ。千載一遇のチャンスを逃してはなるまいと脊髄反射で席を抑えてもらい、そこからご一緒する方を探し始めます。予約困難店はどうしても無鉄砲に臨みがちだと苦笑い。
くろぎ。東京を代表する和食店。食べログでは全体のトップ100入りでポイントは4.32。
店主は「料理の鉄人」改め「アイアンシェフ」では、「和の鉄人」として活躍した1978年生まれの黒木純さん(写真は公式webサイトより)。伝説化している「京味」の出身です。和食の世界って年功序列感が強いから、若きエースの面目躍如は心から嬉しいです。
通されたのは2階の個室。空調の関係かテーブルに振動が伝わる点と、窓の外より歓楽街の嬌声が伝わってくるのはご愛嬌。近々芝大門に移転するらしいので、この問題は解決されることでしょう。席数を大幅に絞るらしいので、常人は完全に足を踏み入れることができないお店となってしまうんでしょうね。
「お待たせ。今日は誘ってくれて本当にありがとう」と時間通りに引き戸を滑らせる
バリキャリ女子。飲食を語る上で「時間を守る」というのは非常に重要です。洋の東西を問わず、まともな店であればバラバラに食事を出すなどもっての外。いくら美人であったとしても、遅刻魔やドタキャン常習犯はきちんとしたお店に誘われることは絶対に無いのでご注意を。
もっと言うと、誘う側は相手の食レベルをすごおく見ています。
「このパンケーキきゃわたん☆コスパも最高!」のような投稿をしている方を立派なお店にお誘いすることはまずありません。これまでどのようなレストランを経験しどのような哲学を持っているか、食に対しどれだけの思い入れがあるか、などのフラグがしっかりと立っていないと、私の脳内の『誰と行こうかな検索』にひっかかることは無いのです。
「あたしの周りの男たちセンスなさすぎ!誰も素敵なお店に連れて行ってくれない!」と嘆く貴女。その理由は自分自身にあるのかもしれませんよ。
閑話休題。乾杯の生ビールは八海山。ごく一部の飲食店にしか卸されない激レアビールです。うすにごりの酵母の香りがフルーティ。食中酒というよりは、これ単品でじっくりと旨い。
胡麻豆腐。表面をガリっと威勢よく焼き、一方で内部のモチモチ感を保持。幸先良い味わい。細かいですが、山葵がすごく美味しいです。
じゅんさいと黒あわび。夏ですなあ。じゅんさいの球がプツンプツンと口の中で弾け、黒アワビのコクが舌先で踊る。ただし、若干酸味が強くどぎつい印象を受けてしまいました。
万願寺唐辛子を煮る。これは面白い。万願寺唐辛子をこのように食べるのは初めてです。ただし想像通りの味わいで特長は見当たりません。ところでここでも細かいですが、鰹節がとんでもなく旨かった。
ミキュイ状態の鱧。身にまとうのは鱧子です。これは控えめに言って絶品。清らかな鱧に梅肉をちょこんと漬けると夏が満開。鱧子の元気な旨味が奥行きを広げます。中骨を揚げたスティックは至高のかっぱえびせんのよう。特筆すべきは鱧の肝。風格漂うコッテリとした香りと緻密なコク。
慌てて黒龍特選吟醸。気品溢れるフルーティな香りが炸裂。肝と共に無上の歓び。
お椀は海老しんじょう。海老をつぶすことなく歯ごたえを感じさせ、そのものの味を楽しませてくれます。出汁が絶品。海老出汁と鰹出汁を半分ずつ。旨味と香りのオーケストラ。痺れました。
八寸。酒飲みには堪らないラインナップです。
ほおずきに鎮座するのは解した貝柱にミョウガとセルバチコ。熟した貝柱が酒を呼ぶ。手前のバチコが洒落かどうかはさておき、濃密で逞しい味わいです。
黒キャベツと塩昆布合わせたものは印象が薄い。というか塩昆布の味しかしませんでした。鴨の生ハムは傑作。艶やかな舌触りと健康な肉質の凝縮感。繊細なゴボウに鴨肉を混ぜ込んだ一口もお見事。一方でインゲンにゴマのソースは十人並み。炒り卵に塩辛を載せたものも普通です。
ダイコンとニンジンの松前漬けも標準的。トマトのレモン酢(?)漬けは目の覚める酸味にハッとする美味しさ。小さなタマネギも甘味と酸味のバランスが素晴らしかった。抹茶と豆乳を固めたものは美味しいのですが唐突でもあり意図がわかりませんでした。
それにしても先の八寸はアルコール泥棒。あの一皿で2合いけちゃう。旨味の強い黒龍純米吟醸で迎え撃ち。
シビという、青森産本マグロの子供。夏らしく爽やかな脂の乗り心地であり肌理がどこまでも細かい。肉厚のスズキにはカボスを絞りポン酢で一口。喉越しが軽やかな一方で、食道からも味が伝わってくるかのような海の豊かさ。淡路産のタイは昆布締めがチョイ強めであり残念ながら好きじゃない。シンプルにワサビ醤油で食べたかったなあ。あ、繰り返しますが山葵が心から美味しい。そのまま食べたり醤油につけたりと、全部平らげてしまいました。
酒のペースが酷くなってきました。黒龍吟醸いっちょらい。口当たりがクリアで食事を邪魔しない。万能選手です。
うなぎ。
吉野川の天然物と聞いて拍手喝采。稀少な食材に巡り遭えた奇跡に乾杯だ。挨拶に来てくださった店主も自信満々で、ダイアモンドのような食材を調達できたことに興奮気味。
シンプルに焼いただけの調理。黒く香ばしい焼き目の香りが食欲に点火。一口で頬張ると思わず背筋が伸びる食感。緩急のある弾力に気品すら感じられる脂の心地よさ。連れと共に目を見開き、思わず無言で鰻に向き合う崇高な10分間。もうため息しか出ない。いわゆる溜息山王です。ここは地上の楽園か。
鱧さん再登板。今回はしっかりと火を通し食感に変化を与えています。
梅肉を湛えたスープに潜らせてしゃぶしゃぶ風。これはちょっと謎だなあ。決して不味くはないのですが、複雑で不思議な味わい。タマネギの存在感も不気味であり、悪い意味で印象的な皿でした。
黒龍純米吟醸に戻る。こうしてじっくり振り返ると、我ながら飲み過ぎである。
ナスの煮浸しに山盛りのウニ、むっちむちのとろろ芋。ううむ、ナス旨し。シンプルな食材をシンプルな調理でここまで旨く仕上げるのはさすがのアイアンシェフ。ウニは見た目通り当然に美味しいです。とろろ芋は微妙。全体をまとめ上げるというよりは、ぼんやりと全体を薄雲にかけるようでした。
お食事です。バコーン!土鍋様登場。
帆立の貝柱の出汁で炊いたトウモロコシのごはんです。
お漬物は忍者の巻物みたいな器に入れられ可愛らしいのですが、味わいは普通でした。
味噌汁はさすがの一言。強めの出汁が支配的で上品な味噌が寄り添うといった形。豆腐や油揚げなど極々単純な具材ですが、街の定食屋とは圧倒的なレベルの違いがそこにはあります。
炊き込みごはんはトウモロコシの甘さが輝きを放ちます。他方、ごはんそのものは薄味。もっと帆立の旨味を前面に出したもののほうが私の好みです。まあ、最後の最後でそんな濃い味疲れるワイという意見もあるでしょう。
コクのある緑茶でお口を整えつつ、
甘味は葛切り。 超絶技巧。こんなに美味しい葛切りを食べるのは初めてです。もちろん出来たてであり、イカソーメンのような断固とした歯ごたえが饗宴の締めくくりに相応しい。徐々に白濁し弾力が和らいでいくのも一興。黒蜜の味わいも手堅く、もしマナーとして許されるのであれば残ったきな粉を黒蜜にぶち込んで、スプーンでガシガシと食べ器をベロンベロンと舐めていたところです。
皿数が多く、それぞれのポーションもしっかりとあったので満腹。食べ切れなかった炊き込みご飯はお土産にして頂きました。翌日の昼に賞味したのですが、ゆうべよりも帆立の香りが立っており、常温で食べたほうが美味しいような気がします。もしやここまで意図しているのであれば恐れ入る。
本日のハイライトは兎にも角にも鰻ですね。逆に言うと、あの鰻が無かったとしたら暴れていたかもしれません。
龍吟のように強烈な個性というものは無く、全体を通じて作者不詳の無難な料理といったところ。
また、サービス料をたっぷり10%取る割には、そこらの居酒屋と大差ないおもてなし力です。客のペースを斟酌せずにドンドコドンドコ次の料理を持ってきて、目の前で皿を渋滞させてくるので居心地が悪い。連れが女性ということのみをもって「彼女さん」と呼びつける。このあたりは同価格帯グランメゾンの客あしらいを学ぶべきだと思いました。
それらを考慮に入れた上で、ひとりあたり4万円と考えるとやっぱ和食は高いなあ。もちろん、鰻は8,000円で、刺身が5,000円で、八寸が3,500円で、、、という具合に積み上げていけば飲んで食べて4万円という価格は全然納得なのですが、全体を1本のストーリーとして評価すると、そりゃあそれだけ払うんだから当然美味しいよね、という感想です。
例えばフロリレージュであれば味はもとより世界観を含めて感動を味わうことができる上に3万円を切ってくる。まあこれは当店がどうのこうのというよりは、和食という料理の性格に因るものでしょう。
私に和食の真髄を見極めることは未だできない。もっとお金持ちになって、1万円を今の1,000円ぐらいの感覚で使えるようにならないと、和食は心から楽しめないのかもしれません。
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前述した通り、和食は料理ジャンルとして突出して高いです。「飲んで食べて1万円ぐらいでオススメの和食ない?」みたいなことを聞かれると、1万円で良い和食なんてありませんよ、と答えるようにしているのですが、「お前は感覚がズレている」となぜか非難されるのが心外。ほんとだから。そんな中でもバランス良く感じたお店は下記の通りです。
黒木純さんの著作。「そんなのつくれねーよ」と突っ込みたくなる奇をてらったレシピ本とは異なり、家庭で食べる、誰でも知っている「おかず」に集中特化した読み応えのある本です。トウモロコシご飯の造り方も惜しみなく公開中。彼がここにまで至るストーリーが描かれたエッセイも魅力的。