コースの3皿目あたりでしょうか、突然シェフが厨房から現れ、「今夜はお代は結構ですから、悪く書かないで下さい」と申し入れられました。
一瞬、何が起こったのかわからずポカンとしてしまう。今日は完全にプライベートな食事であり、特に身分も明かさず連れと食事を楽しんでいただけです。人が女性と楽しくゴハンしている時に何この人、と黙ってシェフの顔を見つめ続けると、額に青筋を立てながら「タケマシュランさんですよね?以前、私が居た店の記事、読みましたよ。ああいうの、嫌なんです。ウチの店のことは絶対に記事にしないで下さい!」と言い残し去っていきました。
途端に店内の空気は一変。隣のテーブルの方がチラチラと私に視線を寄越してくるようになり、非常に居心地の悪い食事へと容態が急変しました。
まずは何の話かを把握するため、トイレでシェフの経歴を検索し、ああ、あの店で料理人をやっていたのか、確かに全然大した店じゃなかったわ、と合点。続いて私の記事を読み返すと、もちろん褒めてはいないけれど、酷評もしていないというレベル。嘘や誤認が公衆の面前に晒されているのであれば訂正すべきでしょうが、そもそもあまり印象に残っておらず、事実を淡々と記載しているだけの短い文章です。一体何に怒っているのかサッパリわからない。
トイレから戻るとテーブルはお通夜状態。このまま帰ってしまおうかとも考えましたが、小体ながらも満員御礼の店でそんなことをすると明らかに場の雰囲気を乱すでしょうから、今夜はこの生き地獄を最後まで耐え抜いてみせようと腹を決める。連れに、こんな僕でゴメンよ、でももう少しだけ付き合って、また埋め合わせするから、と頭を下げる。
敗戦処理投手のような気分で仕方なく食事を進める。数年前に食べた彼の料理から15度ほど方向性が右に寄った印象です。それでも根本的な味は進歩しておらず、なんだやっぱ自分の判断正しかったじゃん、とひとりで納得。
這う這うの体でなんとかデザートにたどり着いたその時、シェフ再登場。今回は最初から喧嘩腰。「この店のことは絶対に書くな」「二度と自分の前に現れないでくれ」とかなり大きな声でまくし立てて来ます。視界の端で隣のテーブルの耳がダンボになっているのが良くわかります。
シェフの考えは理解できました、でも他にお客さんもいますから、事務所かどこか別のところでお話ししませんか?と提案すると、「事務所なんてありませんよ!」とキレられる。あ、そこ、怒るポイントなんですね。
わかりました、それじゃあ、お客さんが全て掃けるまで待っているので、その後にしましょうよ、お店の雰囲気が悪くなりますよ、と何とかその場をおさめようと試みます。「お気遣いありがとうございます」と、全く心はこもっていないものの、この絶望的状況下において何とか感謝の言葉をシェフから引き出しました。
それでもシェフはまた熱がぶり返したのか「でもねっ…」と、声を荒げながら再び意見を述べ始めます。完全に我を失っている。私はシェフの言い分やお考えはよく理解できました、と回答しているのにシェフは同じ話を何度も何度も繰り返します。
しまいには「ブログ書く時は、ちゃんと責任感を持って書いてください!」と、もっともらしいことを言い出しました。きちんと責任感持って書いてますよ、文句を言われることだってありますし、そもそも私の文章はつまらない、と言われたりして私も傷ついたりしますが、真摯に受け止めてますよ、と小さな抵抗を試みると、「あなたが傷ついた話なんて、こっちには関係ないですよ」と華麗にスルーされました。他人の傷ついた話はどうでもいいが、自分が傷ついたエピソードは重要視。厳しい方である。
私の意見は2秒で却下され、シェフは改めて演説をぶち始めます。完全に取り乱している。よくわからないのは、私はじっと彼の目を見返してウンウンと頷きながら真剣に話を聞いているのに、徐々に彼の目が私の方から逸れていき、なぜか私の連れに向かって言葉を投げかけ始めるんです。演説の途中で、彼女は関係ありませんから私に言って下さい、とシェフの視線を軌道修正するのですが、10秒もするとまた彼女に向かい始め、私の目を見て話さない。あの~、ですから、彼女は関係ありませんよ?タケマシュランは私ですよ?という間抜けな指摘を都合3回もする破目になりました。
さすがに店内が不穏な空気で満ち始めます。閉店までずっと待ってますから、2人きりでじっくり話し合いましょう、と4回言うと、ようやく一旦下がってくれました。本当はさっさと自宅のソファでどうぶつの森の続きをやりたかったのですが、約束は約束なので他のお客さんが全て帰るのを根気強く待ちます。連れに、今夜はこんなことにつき合わせちゃって本当に申し訳ない、先に帰ってるかい?と声をかけると、「ううん、一緒に帰る。別々だなんて寂しいじゃない」と地獄に仏。
小菓子を食べ、コーヒーを飲み終わってから40分が経過したころ、再びシェフ登場。「お願いですからもうお帰り下さい。これ以上お待たせするのは申し訳ないので、お願いですから」との申し入れ。どのような翻意があったのか、今回は低姿勢です。何時まで待てば良いのかわからないまま待ち続けるのはさすがに苦痛だったので、渡りに船とお店を後にすることに。
身支度を整えた後の去り際に、「この店のことは記事にしないでください。そして2度と私の前に現れないで下さい」と何度も何度も念を押されました。
斬新な経験でした。不可解な点が多すぎる。なぜ予約の時点で断らないのか。なぜ3皿目という序盤に沸点に達するのか。なぜ他のお客さんの目の前でキレてしまうのか。なぜ連れにまで文句を言うのか。なぜきちんとした議論は避けるのか。
先にも述べましたが、私だって当然にクレームを頂くことはあるし、謂れの無い誹謗中傷だって受けています。数時間かけて書き上げた記事に対して「ダラダラ長くて写真しか見てない」などと言われると、ものすごく凹みます。それでも改善に向かう良い機会と前向きに捉え、自分の実力の無さを反省するようにしています。
今回はシェフが私を駆逐し目的を果すことができました。でもこれって何の解決にもなっていないですよね。ネット社会においてはすぐに第2第3のタケマシュランが現れて、再び好き勝手に書き込みをしていくのは目に見えています。こんなことを繰り返してもイタチごっこのモグラ叩き。
論理を攻撃できないからといって、論理を述べる人を攻撃するのは全くもって見当違い。ネガティブな書き込みを一掃する唯一かつ最強の策は、誰にも文句を言わせないほど美味しい料理を提供し、最高のサービスをもってゲストをお迎えする、これだけなのに、どうしてそちらに向かおうとしないのかなあ。
ネット上の書き込みなんて、料理ができない可哀想な人間の受け身の活動と一笑に付せばいい。その中で有益な指摘については真摯に向き合って対応すればいい。賛否両論おおいに結構じゃないですか。クチコミが賞賛ばかりだなんて気持ち悪い。大文字ばかりで印刷された英文は読みにくい。日曜日ばかりの人生は退屈だ。
「あの映画チョー退屈だった」「あの番組チョーくだらねえ」「あの芸人チョーつまんねえ」「あのアイドルチョーブスだ」「あそこの服チョーだせえ」「玉田はいつもゴール前でコケやがる」という話題になってもみんな気軽に流すのに、こと飲食業界において「あの店チョーまずい」と言おうものなら色んな人から袋叩きにあうこの世界。私も含め、業界全体がもう少し冷静になることができればいいのにな。
先日、日本でトップクラスに有名な料理人とお話する機会がありました。彼のレベルであっても毎日ドタキャンが発生することにつき、彼はこう述べました。「ドタキャンされるのは店の実力不足です。どうしても行きたいのであれば何が何でも行こうとしますし、何としてでも代役を立てるものです。それをして頂けなかったということは、我々の努力が足りないということです。非はこちらにある」。
普通の人は他人に対して多くを求める。傑出した人は自分に対して多くを求める。今回を教訓に、私は常に後者でありたいと思いました。
【続編】3ヶ月前にトラブった例の店からの電話が鳴り止まない
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「東京最高のレストラン」を毎年買い、ピーンと来たお店は片っ端から行くようにしています。このシリーズはプロの食べ手が実名で執筆しているのが良いですね。写真などチャラついたものは一切ナシ。彼らの経験を根拠として、本音で激論を交わしています。真面目にレストラン選びをしたい方にオススメ。