おにまる/麻布十番

私が暫くフランスに行ってしまうことにつき、寂しさを隠そうとしないシイタケ嫌い。予想される事態ではあったので、念の為に出発前日の夜は予定を全て空けておいたのです。
スーパーバイザーと共に4番出口で待ち合わせおにまるへ。勢い良く戸を開けると山田が焼酎を飲んでいる。自動的に同じテーブルへと押し込まれ、形ばかりの乾杯を済ませると、やにわに山田が切り出しました。
「明日からカリブ海クルーズに行ってきます。アメリカまでANAのビジネスで行くんですが、高いっすね。ふたりで187万円でした」

詳しく聞くと、直前予約でもなく、1ヶ月前以上余裕を持って、この金額。ピークシーズンでもないのにどういうことでしょう。
ちなみにこのさつま揚げは羽根枕のように軽く、当店の隠れた逸品でクセになる。ペンパイナッポーアッポーペンぐらい中毒性があります。
「だって、○○さん(私の名)とパラオ行った時も飛行機だけで40万円ぐらいかかったじゃないですか。3倍の飛行時間と距離だから、まあこんなものなのかなって」僕、あんまり海外行ったこと無いから、相場が全然わかっていないんですよ、と肩を落とす山田。なるほど確かに考え方としては理に適っている。

ちなみにそのパラオ旅行、私はマイルがたっぷり貯まっていたので、1円も払うことなくビジネスクラスに乗ることができたので、その気まずさと言ったらない。
秋刀魚の刺身。旬到来。一切れつまんで醤油の中に漬けるだけで鮮やかな脂が花開く。ううーむ、旨い。これを魚屋で数百円な日本は誠に食材に恵まれた国です。
結局、正規料金だからそんな高いんだろ?今すぐ違う便を予約して、187万円はキャンセルしろよ。アメリカ行きの便なんて山程あるんだから、どこか絶対空いてるって。俺が今から全部アレンジしてやるから差額の半額でどうだ?と、押し売りを試みるも、「出発前日にキャンセルとか、僕、性格的にできないです」とやんわり断りつつ私への警戒心を隠さない。
ちなみに現地の船会社はどこ?ロイヤルカリビアンのフリーダム・オブ・ザ・シーズ?わお、俺もその船おととし乗った。部屋のタイプはオーナーズスイート?わーお、俺と全く同じじゃん。まあ、俺が教えたみたいなところあるからな。部屋番号まで一緒だったりして~、と、山田と共に海への思いを馳せながらはしゃいでいると、「『船会社はどこ?』って、普通無いよそんな会話アンタたち色々ズレてるよ」とシイタケ嫌い。鶏天旨し。
どういう文脈かレバーパテとバゲット。「レバー、仕入れ過ぎちゃってさ。色んな形に変えないと飽きて来るんだよね」と、ここは九州居酒屋のはずである。
「明日の準備があるからそろそろ帰ります」と山田が離脱し日本酒で仕切り直したその時、私のスマホが揺れ動く。「ねえ、もしかして、おにまるいたりする?」彼女は私の斜向かいに住んでいるご近所さんであり、たまに糸電話する関係。私の行動様式を読まれているようで赤面します。
「軽く飲んで来てさ、もうちょっと飲みたいなって思って」とほろ酔い加減の彼女。軽くってどれくらい?と尋ねると「日本酒を7、8杯」と、どこまでも頼もしい。改めて乾杯でふりだしにもどる。
アメリカまでビジネス往復だと、感覚的にいくら?と、旅行通の彼女の意見を求めると、「60万円くらいかな?時期と航路にもよるけど」との回答。ちなみに私の感覚だと50万円と少しというイメージです。

それにしても飛行機の値段があってないような仕組みはどうにかならんか。シーズナリティを固定するオプションみたいな金融商品、結構売れたりして。
私も明日の午前のフライトが気になり始め、2時近くに散会。彼女と一緒に帰る道すがら、そう言えば○○って店、行ったって言ってたよね、あそこのソムリエと知り合いでさ、今は違う店に移っちゃったけど、と話をすると「あたしその移った先の店、3年前からの常連だわ」

そうなると話は早い。家まであと5メートルという地点でUターン。まだ開いてるかなあと彼女に疑問を投げかけると、「大丈夫、4時までだから」とどこまでも頼もしい。
「うわーお、このおふたりがお知り合いだったとは!」と、腰を抜かす店長。「じゃあじゃあ遊びでブラインドでもやりましょうよ」と白のグラスを並べ始める。

1杯目は無個性という個性を感じシャルドネと判断。ただし若干元気すぎるきらいがあるのでカリフォルニア産と回答。2杯目は香り豊かで妖艶。ただしこちらもワンパクな仕上がりなので新世界、しかもヴィオニエと回答。
正解はカリフォルニアのシャルドネと、
ローヌのソーヴィニョン・ブランでした。「2杯目は意地悪問題で、当てれる人はいないでしょうから、ほぼ満点!」と機嫌を良くする午前3時。

「あたしの特技はね、字を書くことなの。一応、書道の師範なんだから」と明け方のワインバーで場違いな告白。こういうギャップに男子は萌えたりするのです。

じゃあちょっと書いてみてよ、と煽ってみると、「この壁へどうぞ!今、マッキー持ってきますんで!」と、思いもよらない方向に話が進む。店長、酔ってない?壁にマッキーって、ほんまにええの?「まずは『四面楚歌』、次は『国士無双』でお願いします!」と店長からのリクエスト。
ここから先は不思議な体験でした。腕まくりをした彼女は、字を書いているようには全然見えないんですよね。最初は柔らかくバランスを取りながらデッサンを進め、設計後に肉付けしていくような描き方なんです。
流れるような所作はまるで絵を描いているかのよう。おそらく彼女の脳内には完成イメージが既にあり、その光景を壁にプロジェクションマッピングしているだけの作業なのでしょう。最初は適当に描いているとしか思えないのに、徐々にきちんとした作品に仕上がってくる。恐らく彼女は書家だけでなく、画家としても大成したはずである。
「ワオ!素晴らしい!他に何か良い四文字熟語、無いっすかねえ?」と店長に尋ねられたので、『百花繚乱』と答えると「それはやめておきましょう」と即却下。なんでやねん。半ば投げやりな気持ちで『魑魅魍魎』と言い放つと、「それで行きましょう!」ってなんでやねん。
「こんな字、書いたこと無い〜」と言いながらもスマホ辞書を片手にきっちり仕上げてくる書道家。ううむ、才能とはこのようなことを言うのでしょうね。
空が白み始めた午前4時、麻布十番の大人なワインバーに素晴らしき壁画が完成しました。いずれは白く塗りつぶされるであろう仮初の傑作。

「思いっきり字、書いて、テンションあがっちゃった!今日はすごく良い1日!仕事を早く切り上げて、6時から美容院行って、たっぷり飲んで、2軒目も3軒目も思いっきり楽しめて。○○さん(私の名)と会うつもりは全くなかったけど、こういうのって、なんかいいよね」と跳ね廻る彼女は純朴な子犬のよう。私にとっても日本最後の、最高の夜となりました。明日からはフランスだ!



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東京カレンダーの麻布十番特集に載っているお店は片っ端から行くようにしています。麻布十番ラヴァーの方は是非とも一家に一冊。Kindleだとスマホで読めるので便利です。

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